2018年5月10日

He should have chosen the options prepared for him.

 活動終了から1年のこの間、わざわざ自ら進んで此処を探し出し見て呉れたことで、図らずも本人たちにメッセージを伝えることが叶ったこともあり、更新は終了します。

 生きている中で遭遇する離別の哀しみや犯した自らの過ちの苦しみを心の内に積み重ね、抱えながら、己が死ぬまでそれらと向き合い続けることが全ての人の宿命。それが「悔いる」ということです。

 「不快で居たたまれないから」と、現実に起きたそれらの出来事から目を背けて初めから無かったことにし、精神の安寧のみを求めどんな手段を執っても自らをひたすら憂いの無い純白の状態に置こうとするのは、ただ未熟な子供の考えること。そんなことは所詮不可能であることを悟っているのが、大人だといえます。

 私の親族であったその彼が、16年前、「肚の中を隠す」気質がとりわけ強いことで有名な地域の連れ合いと一緒になったのは、彼の父親の二度目の結婚の時と同様でした。

 その地域で生まれ育った人々は、相手が肚の奥底で何を考えているのかを常に探りながら人と接することに子供の頃から慣れています。しかしそういうことに元来不慣れな余所者の父親と同様に、彼もまた、連れ合いや周囲の、表向きの甘い言動に見事なまでに踊らされ誘導され、自分が何を行っているのか冷静に考えることのないまま、結局人として二度と取り返しの付かない過ちを犯す結果となりました。

 彼ら父子が共々幾つになっても乗せられやすい子供のような純粋無垢さを保っている証左でもありますが、精神はともかく実年齢は子供ではないのですから、許されざる行いはどんな言い訳をしても許されません。

 約十年前から、誰もが簡単に予想できる最悪の結末に向かって彼が突き進んでいることは明白でした。この間私自身は、生涯でもっとも精神的に厳しかったといえる状況にあり、故に感情を抑えきれないこともありましたが、それでも私は、彼の親族として、昨年の最終局面までことある毎に、彼が救われ、面目も保てるであろう、ぎりぎりの選択肢を彼に提示してきました。しかし結局彼は、目先の保身のための蛮行とともに、人として悲しむべき結末を自ら選んでいってしまいました。

 これから先、人がどんなに表向き彼にかまってくれようと、事情を知っている人には「取り返しのつかない行いに及んだ人間だ」と内心で思われながら、の生涯を彼は送ることになります。哀しいことですが、無かったことにはもうできません。

 彼が、直言するものをひたすら周囲から排除し続け、肚の中でどう思われているかなぞ少しも疑問に持たずに、表向き甘く接してくれる人々で身の回りを固めてしまった以上、彼もまた、父親と同様の末路を辿ってゆくのでしょうか。

 いよいよ初老の域を目前にした彼への最期の直言として、ここに記したことが、既に人生折り返しを迎えている彼の、自身を省みる要素の一つにでもなれば良いのだが、と思っています。