2017年4月24日

人生は怖い

 地元の古本市で100円で買った小学館『少年少女世界の名作』第34巻(1975年刊)から、今はなき大阪のパルナス製菓キャラクター「パルちゃん」のモデルで知られるソ連時代の有名な児童文学「ネズナイカ」のお話を初めて読んでみました。同書掲載の作品はシリーズ3部作の最初に出た「ネズナイカと彼の友人達の冒険」のようです。
 「花の町」に住む主人公のこびと、ネズナイカ(「無知君」)はこれまで、無邪気そうな「パルちゃん」のイメージしかありませんでした。しかし実は無知ゆえに自分が無知である自覚すらない、ほら吹き常習犯の困った男の子だったとは……同書の解説コーナーではネズナイカについてこう説明しています。

「なんにも知らないのだけれど、科学のことでも、詩や絵のことでも、技術のことでも、自然現象のことでも、なにもかもよくわかっているような顔をします。そして、いたるところで、無知や、無知からくるずうずうしさを、みんなの前にさらけだし、もう強引におしとおそうとして、どうにもならぬはめにたちます」

 そんなネズナイカは転がり込んだ「緑の町」の女の子たちに構ってもらいたくて、大ぼらの英雄譚を語ってきたのですが、実は無知無能な男だとばれると、彼はいたたまれなくなって原っぱにかくれます。でも頭が弱いのでまた誰かに構ってもらいたいとちょろちょろと人前に現れ、そして嘲笑されたりなじられたりします。
 でも本人はその行いを非難されても、

「ああ、なんて、ぼくはかわいそうなんだろう……みんなは、ぼくをいじめている。だれも、ぼくをかわいそうに思ってくれないんだなあ」

 と、無知をごまかすために人をだましてきた自分を棚に上げ、自己憐憫に耽り自分を正当化するのですから、ずいぶんたちがよろしくない。でも最後には「ほらはよくないと、忠告してあげるものよ」という友達が現れ、これまでの自らの振る舞いに気付いたネズナイカは救われます。

 そう、きちんと叱咤し諫めてくれる身近な存在は、いつの時代も人には必要不可欠ですね。

 実は身近な親族で勉強も読書も嫌いなままオッサンになったリアルネズナイカな四十男がいます。しかもネズナイカより不幸なことに、忠告を自分への攻撃と反射的に受け止めてしまう反抗期の子どもみたいな人物です。
 彼はこの四半世紀、自身の妻も含め自分をひたすら全肯定し甘やかしてくれる人間だけで周囲を固めることに全てのエネルギーを費やしてきました。自らの機嫌を損ねる存在とあらば実の親ともいえども縁を切り、子どもすら作らないと宣言したほどです。
 そんな彼が、自己愛と自己正当化に目が眩んだまま、さながら思春期男子中学生のように逆ギレして大勢を巻き込んだ騒ぎを繰り広げたのは最近のこと。いろんな早合点や勘違いに彼自身が気付いた時にはすでに取り返しの付かない段階までやらかしていて、哀れにも自滅しました。

 彼の話によれば、周囲はただ彼の言葉に機械のように頷くだけか、無責任に煽りたてる類の人々しかいなくなり、真に諫言忠告してもらえる人はすっかり消え失せたようで、彼の生涯に残るこの大失策もさも有りなん。子どもの行いなら「可愛い」とか「これから改めよう」ですむかもしれませんが、自らを律し学ぶことを忘れたネズナイカのような大人の行いは「見苦しい」だけでなく、もう後戻りもできないし取り返しもつきません。
 私の亡くなった母の口癖だった「お前は苦労が足りない」の「苦労」とはこれだったのだなと今にして思います。仕事をして稼ぐのは当たり前、それだけで苦労しているつもりになるのは単なる傲りだったのだと、哀れな中年男と化した彼の姿を思い返すたびに強く感じます。

 つくづく人生とは、油断ならぬ怖いものです。

「これからは、正直で、勇ましく、かしこい子になるようにしましょうね。そして、いつもいいことをしていれば、自分をよく見せようなんて思ったり、ほらをふかなくてもすむのよ。そうでしょう?」